ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

見苦しい映像・・・がれき受け入れ反対派の自己中主義

先日、北九州市議会で放射能汚染廃棄物処理受け入れる事が可決されたあと、
 
一部の反対派市民が受け入れをお願いするビラ配りを阻止する行動に出ました。
 
そして今日は京都で同じ様な行動をとる市民がニュースで映し出されました。
 
見苦しいの一言に尽きます。
 
これよりはるか以前に、
 
埼玉の太平洋セメント一企業として受け入れの名乗りを上げました。
 
東京も同じです、そして千葉も動いています。
 
一番感心したのは埼玉のプラント周辺の自治の方々の姿勢です。
 
この国の現状をかんがみ、受け入れをせざるを得ない
 
とおっしゃっていました。
 
被災地の痛みを理解し
 
日本国国民として「同胞」を思いやる気持ちがこの言葉に込められています。
 
放射線量が騒がれていますが、
 
国の暫定基準値は
 
その線量を1年間浴び続けていると何らかの影響が
 
出るであろうと推察される数値であって、
 
それ以外は心配する事のない基準です。
 
食品に於いても同様の基本的考えです。
 
ただ、実際にこの数値を経験した人がいないので
 
そのことが不安を駆り立てていることも否定できません。
 
反対派の言っている事は、自分たちが安全であるなら
 
ほかはどうでも構わないという事です。
 
北九州では汚いものを持ち込むなとさえ言っています。
 
少なくとも、こう騒ぎたてる人に今我々が置かれている
 
現状を理解できる能力はありません。
 
同じ日本の国民が他県でどんなに死んでも
「自分が安全で、幸せならそれでいい」としか考えられない哀れな人たちです。
 
原子力先進国のフランスでさえ放射能除去の装置が開発されてなく、
 
地道な作業で40~50年かかると言われています。
 
日本にそんな力はありません。
 
今どんなに騒いだところでこの状況は何も変わりません。
 
先が見えてくるのは、今年生まれた子供が自分の孫を抱く時代です。
 
我々はその時を迎えるまでの「犠牲」を強いられる場面に直面しているのです。
 
「がれき」を一日も早く処理をし、
 
「復興」を成し遂げなければ、この国の将来に希望は持てません。
 
第二次世界大戦に於いて200万人を超える同胞が犠牲になり、
 
その上に復興を成し遂げ、
 
そしてまた今「戦争」とは違った意味で「犠牲」と言う礎を「時代」が要求しています。
 
その事すら分からず、「自分」の事しか考えていない行動に
 
私は「同胞」という思いはありません。
 
唯の「恥さらし」です。
 
政治云々のレベルなら、強制的に法律を制定して処理させればいい事です。
 
「国家」あってはじめて「国民」が存在できます。
 
その意味すら理解できないのならこの国から出て外国で暮らしてください。