ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

東京検察審査協会崩壊への軌跡 第一章検察審査会と検察審査協会 Vol11 組織の構築(3)

昭和48年3月24日

常任理事会が開催され、

法施行25周年記念式典についての協議や

分担金の改訂が行われました。

法制度研究委員会が開催され、

最高裁刑事局との懇談会も行われました。

最高裁からは、半谷一課長、吉本局付

神沢課長補佐が出席され、全検連からは

岸会長他役員32名が出席しました。

 

5月12日は総会前日の確認会議のような

形式で常任理事会と制度研究委員会が

開催されました。

5月13日

第19回定期総会並びに

検察審査会法施行25周年記念式典が

三河三谷温泉松風園で行われました。

最高裁からは、牧刑事局長ほか21名

会員780名、事務局102名が出席しています。

一般表彰251名、記念表彰94名となっています。

大きな記念式典が行われたり、区切りの周年の

場合、全検連や各協会では裁判所からの

感謝状が頂けるように取り計らっています。

今回は最高裁刑事局長感謝状が

30名の方々に贈呈されています。

また、最高裁石田和外長官色紙が

5名の方に送られました。

このような贈呈が、会員相互の活動意欲を

向上させることは言うまでもありません。

 

出席者が1000人近い会場でこのような

贈呈が行われることが、受け取った本人にしても

一生の宝物になるのです。

 

5月21日には法施行

25周年記念ポスターが作成されました。

そして9月26日には最高裁主催の

法施行25周年記念式典が開催され、

岸会長以下32名の役員が招待されています。

 

ここで一旦話を現在に戻します。

少し前に名古屋検察審査協会の方からの話と

私の裁判の結果から、東京検察審査協会が

野崎昌雄という人間に私物化され、事件を

勝手に捏造したという事実が明白になりました。

この捏造は、法廷も認めています。

先日、全検連宛に書簡を送りました。

もちろん、ほかの協会の方を介してのことです。

東京協会が退会した経緯、野崎が理事を騙して

自分のしたことを隠した事など、東京協会への

処分を含めたお願いです。

野崎が提出した「退会届」の不受理が一つ目の

お願いです。

そして野崎の全検連副会長としての除名処分です。

野崎の行ったことは、東京協会だけではなく

虚偽の理由を以って退会届を出し、全検連をも

騙したことです。

東京協会は、全検連に収める会費が高いことを

理由に野崎が退会決議に誘導しましたが

これを理由にすることはできなかったのです。

野崎の前任者である藤澤徳子氏が

全検連と協議し会費減額を勝ち取ったという

事実があるという事を、私を含めた理事たちが

忘れていて、そこを突いた野崎の術中に

まんまとはまってしまったのです。

このことから、

当然、東京協会も退会理由の精査を

欠いていたという理由で処分されなければ

なりません。

東京協会の歴史を藤澤氏のところで一旦止めて

野崎の在任を抹消するという事を行ってから、

東京協会の呼称を剥奪し、ただの親睦団体に

降格させ、無関係団体にすること。

そして新たに、今回の件で協会運営を考えて

いただいた十数名の方々とこれまでの

歴史を引き継ぎ藤澤氏以降の歴史を構築していく

全検連加盟団体として東京協会を立ち上げ

承認していただくことをお願いしました。

 

この東京協会の騒動は、

最高裁刑事局長で現在弁護士をされている

方のところまで話は伝わってしまっています。

これ以上、周りの方たちに面倒はかけたくないので

このことも全検連には伝えました。

何れにせよ、そう簡単に結果の出る事ではありません。

それまでの間、全検連の歴史を書いていきますので

ゆっくりとお読みください。