ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

東京検察審査協会崩壊への軌跡 第一章 検察審査会と検察審査協会 Vol.6 全検連と最高裁刑事局

昭和39年 第十回定期総会が東京・椿山荘で

執り行われました。

来賓として、最高裁矢崎刑事局長ほか19名。

会員259名、事務局51名。

各地の協会が検察審査会法施行15周年記念

行事の報告を行い、130名の方が表彰されました。

会長は東京協会の島田典六郎氏が留任の形で

続投し、各地域から役員が選出されています。

昭和40年4月22日には、最高裁刑事局との

懇談会が東京地裁会議室で行われました。

最高裁側は、矢崎局長、新関一課長、黒田局付

八廣課長補佐の3名、全検連からは、島田会長他

役員18名が出席しました。

6月6日には、第11回定期総会が伊勢・神宮会館

で行われ、最高裁刑事局からは、新関1課長ほか

19名の方々がお見えになり、会員276名、事務局

68名が出席しています。

ここで言う会員は、全検連加盟の各協会の方々で

全体の一部でしかありません。事務局は検察審査会

事務局で国家公務員です。

9月25日の最高裁刑事局との懇談会では

1.広報予算獲得のために当会として大蔵省へ

  働きかけることの是非について

2.全国総会への事務局職員の出席について

  など。

同日行われた運営委員会では

総会の在り方について、

全検連の活動資金について

新成人を対象とするリーフレットの広報と

映画館用スライド広報について

未加入・未組織地区に対する加入・組織化

の要請についてなどが話し合われました。

そして10月7日には、広報予算に関し

大蔵大臣、大蔵政務次官、主計官に

請願書を提出しました。

全検連が産声を上げてからたった10年で

これほどまでの事を実行していたのです。

そこには最高裁判所刑事局のしっかりとした

後押しがありました。

東京検察審査協会は全検連発足から10年以上

会長を務め続けていたのです。