ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

東京検察審査協会崩壊への軌跡 第一章 検察審査会と検察審査協会Vol.15 組織の構築(7)

昭和56年

3月7日 常任理事会

       最高裁判所刑事局との懇談会

       (東京地裁大会議室)

       最高裁側 小野刑事局長

              中山一課長、市東課長補佐。

       全検連側 岸会長ほか役員35名

5月22日 第4回全国理事会

5月23日 第27回定期総会

        (函館市民会館ホール)

        出席者 来賓 最高裁刑事局 中山一課長ほか

                 22名。

             会員 619名 事務局51名。

        最高裁長官表彰 1名

        特別功労賞    5名

        表彰                 377名

8月28日 最高裁刑事局との協議会

       (東京第一検察審査会会議室)

        最高裁側 中山一課長、木村参事官

               片山局付、飯島係長。 

       全検連側 岸会長、木村、松田副会長

       地方公共団体からの補助金受領の自粛等

       について協議をしました。

10月  7日 常任理事会

11月11日 最高裁判所刑事局との懇談会

         (東京第一検察審査会会議室)

         最高裁側 中山一課長、木村参事官

                片山局付、市東課長補佐。

         全検連側 岸会長ほか役員9名。

昭和57年

2月5日  本部副会長会

3月6日  常任理事会

       最高裁刑事局との懇談会

       最高裁側 小野刑事局長、中山一課長、

              市東課長補佐。

       全連側 木村会長代行ほか役員35名

5月22日 第5回全国理事会

5月23日 第28回定期総会

       (七尾市和倉温泉観光会館)

       出席者 来賓 最高裁刑事局中山一課長

                 ほか21名

                               会員 813名 事務局5名

            新役員 会長 木村嘉則(都留)、

            副会長 松田喜衛、雲居恒敬、

                  秋場 淳(千葉)、池田 勇

                  松本悦治、前田源吾、

                  蕪城喜五郎、佐伯武範(広島)、

                  一ノ宮浦吉(田川)、藤田静夫

                  山下忠行、森田佐一郎、

            監事   飯田薩男、鳥居清治(小田原)

7月23日 正副会長会(東京第一検察審査会会議室)

10月18日 常任理事会

11月 8日 会計事務の移管

        事務局側 木村事務局長ほか4名

        全検連側 木村会長ほか3名

 

以上が昭和57年までの変遷です。

もうお気づきの方がいらっしゃるかと思いますが、

昭和57年の最高裁刑事局との懇談会に於いて

岸会長のお名前はありません。

木村都留検察審査協会会長が代行を務めています。

以後、岸 正弘氏の名前はどこにも記載されていません。

ご存命であるなら当然「顧問」になっていたでしょう。

昭和41年から昭和57年までの間、全検連という

組織を構築してようやくすべてが整った時に、

このような展開になりました。

定期総会の出席者で大きく変わったのは、検察審査会

事務局の方の出席が激減したことです。

全検連の組織が完成したことの証であるかのように

流れが変わったことを物語っています。

昭和30年から昭和57年まで、実に27年間もの間

全検連の組織構築に尽力した東京協会は、

無条件で「副会長」の座を恒久的に得る事となりました。

この苦労を、「野崎昌雄」という愚か者は知りません。

自分の事しか考えていないから、勝手に全検連を

辞めると口走ったのです。

この者の行動は「万死」に値します。

追って、詳細は記事にしますが、この馬鹿者だけは

死んでも許しません。