昭和41年6月4日に運営委員会(全検連)が
開催され、翌5日には第12回定期総会が
日光市・南間ホテルにて行われています。
来賓は、最高裁刑事局佐々木二課長ほか
18名、会員317名、事務局67名でした。
新役員が選出され、会長には東京検察審査協会
会長の岸正弘氏、副会長には同じく東京の
中屋則直氏、運営委員として静岡の押見与市氏
名古屋の岡本清雄、二見貴祐一の両氏、熊本の
田中吉兵衛、浜田大和の両氏、盛岡の中館惣吉氏
八王子の佐藤幸之助、雑賀嘉行の両氏に加え
名を連ねた。
10月4日に行われた運営委員会において、
ばらばらだった各位団体の呼称を「検察審査協会」と
統一する事に決定しました。
この会議では副会長が中屋氏から同じ東京の
松井弥太郎氏に引き継がれた。
そして、元東京第一検察審査会(国)事務局長
鬼沢末松しと、前東京第一検察審査会事務局長
長峰谷明氏に顧問を委嘱しました。
11月22日には、大蔵主計官に「検審広報予算に
関する請願書」を提出しました。