ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

大津市教育委員会・・・改め隠ぺい工作委員会

多くの方が憤慨している事と思われる大津市
 
中学生自殺事件に絡む教育委員会の行動、
 
この市に限った事ではないという事は、殆どの国民が理解している事です。
 
警察の捜査が入った途端、いままでの事を翻し「いじめ」の事実を認めた委員会。
 
この程度の人間が教育者を監視しているなど、笑わせるにもほどがあります。
 
よくもまあマスコミの前に出れたものです。
 
信頼以前、人間性の問題です。
 
すべては「事なかれ主義」と言う考えが根本にあります。
 
汚点を残すと経歴に傷が付き、出世に影響が出ると言う古臭い考えの連中です。
 
こんな連中が生徒たちの心のケアを口にしていますが
 
生徒たちからは「あんたらの世話にはならんわ」という声が聞こえそうです。
 
県警本部が捜査に乗り出したという事の態勢を観れば
 
警察が本腰を入れている事がよくわかります。
 
「被害届」を3度不受理されたという事ですが、
 
本人が死亡している以上、警察の対応は間違いではありません。
 
遺族はそれを踏まえ「刑事告訴」をしました。
 
告訴を受理した以上、「捜査」をしなければなりません。
 
この事件、問題は「立件」ということになります。
 
「いじめ」と「自殺」をどう理論付けるか、見守る事になります。
 
すでに加害生徒の氏名が、あるサイトで公になってしまったと
 
言う事ですが、同情する気持ちはありません。
 
同級生でありながら、自殺した生徒を救う事が出来なかった
 
生徒たち、彼らの心の傷の方が遥かに大きいものだと考えます。
 
私たちの年代までは「体罰」は日常茶飯事でした。
 
それがいつのころからか、「傷害罪」に変わりました。
 
躾もまともにできない親が、自分の事を棚に上げ
 
教師たちを責める傾向は褒められるものではありません。
 
先生に殴られても自分が悪いと分かっているから、
 
殴られた奴らは「師」を逆恨みする事はありません。
 
「教育」の本質がいつの間にかすり替えられて
 
しまった結果が今回の悲劇を生んでいます。
 
我が国は欧米諸国とはことなり、「精神論」が優先される国です。
 
それは教育に限らず、生きていく上で国民一人一人が理解しています。
 
理想だけで教育は成り立ちません。
 
そこにもっていくまでには鉄槌は必要です。
 
それを分かっている親は「武道」や「団体行動」の機会を子供たちに与えています。
 
やろうとしている親が居る半面、
 
何もできない「親」がいることも事実です。