ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

ZARD・坂井泉水三回忌に寄せて「 揺れる想い I ・ Z U ・ M I 」

もうすぐ泉水の三回忌を迎えます。
彼女が亡くなり二年の歳月を重ねましたが、相も変わらず彼らの目を
覆いたくなるような愚行が続いています。
金儲けのための執拗なマスコミ操作、本人とは無関係なグッズを
売りまくるべくネットを通して広告を流しています。
三回忌の日にCDを出すという告知は以前からされていましたが、
先日「コナン」の合間にわざわざCMを流していました。
まったく無意味な行動です。
彼らには彼女のご両親に対する気遣いなど微塵も感じられません。
まだ娘を亡くして2年もたたないのに、
その声が画面を通じて耳に入ってしまったらどのような感情が生まれるのか。
呆れてものも言えません。
一般の方がこのCMをみても首をひねるだけです。

ZARD・・・坂井泉水って確か死んだよね。何でCDなんか出すの、
ヒットチャートにでも入れるつもりなのかな。無駄じゃないのこんなCM。」

これが普通の人の反応です。部外の方からご覧になっても、
この状況が異常であると肌で感じられると思います。
彼女が亡くなってから現在まで、実に同じことの繰り返しです。


今年、尾崎豊十七回忌を経て彼の楽曲がメディア解禁と言う事を
au ただ一社が喜んでCMを流していました。
ファンにとっては、十七回忌以前も以後も、その心境やスタンスに微塵の変化もありません。
ファンのリクエストによるCDを制作しただけです。
こうやって彼を思う気持ちが、関係者やファンを一つにしています。
彼が亡くなったあと関係者やファンはZARDのような馬鹿騒ぎをしていません。
これは彼のすべての関係者が「死」ということを真剣に受け止め、
自分たちが何をするべきかを分かっているからです。
彼のファン層を考えるなら、彼の年齢前後から下の方が大半でしょう。
十七回忌を迎えても四十歳前後、三十三回忌でも還暦手前の現役の社会人です。
早い人ならその頃には、おじいちゃんかおばあちゃんです。
16年間関係者に守られてきた「尾崎 豊」は、いまだに色褪せることなくメディアを通して私たちの前によみがえってきました。ただこの現象は一過性のものであって、
au以外は騒ぐことなく時を重ねていきます。
一番大切なことは、彼の三十三回忌を迎えたときにも「尾崎 豊」は色褪せていないということです。
それは、リアルタイムで彼を見てきたファンが、
自分の子供ではなく自分の孫に彼を語り継げるからです。
彼の歌は一時的な流行歌ではありません、
それは時代が変わってもその世代には受け入れられるということです。
直接孫の代に語り継げる歌です。
死後30年以上の時間を経て語り継ぐということは相当のエネルギーを要する作業です。

石原裕次郎さんが今年二十三回忌をお迎えになります。
盛大に「法要」を行うそうです。
ファンの皆さんに病状報告をして、告別式を執り行い、
すべてきちんとしたプロセスを経たからこそ「法要」という形をとって
区切りをつけることができます。
渡哲也さん率いる石原軍団は、本筋を通すということをよくお分かりになっています。

ZARD関係者のように、見境なく花火を打ち上げれば、
その時だけ騒がれてあとは忘れ去られます。

泉水は「坂井泉水」として十三回忌も迎えることはできないでしょう。
ここまで利用され、「死」ということを真剣に受け入れているファンは私を含めごく僅かしかいない今、10年もたたないうちに消え去ります。
真剣に彼女の「死」と向き合うなら、追悼ライブなどという集会には参加できません。動くことはできないはずです。ああいった場所に集う輩は、自分の気持ちを癒すことだけしか考えない人たちです。
彼らからみれば、実に操りやすい集団です。

「 人非人 」と書いて「人でなし」と読みます。
文字通り、人の道を踏み外し、非道に走った人間をこう呼びます。
今回のイベントは、
この人でなしの領域に足を踏み入れた人間が、企画・主催し、
物事の本質を見抜くことのできない、ただ踊らされていることも
理解できない哀れな人々が集い、自ら抱く悲しみを癒すだけで満足感に浸り、
煽られた悲しみが購買意欲を助長して、
彼らの思惑通りの利益を上げるために計画された金儲けビジネスです。
そしてこの模様を伝えるのが、真実を追求し伝える事のできないマスコミです。

悲しいかな、これが泉水を取り巻いている「 構図 」にほかなりません。

彼女が亡くなり、何もしてはいけない時期に「金儲け」の為に
愚行に走った彼らは取り返しのつかない過ちを重ねています。
「死の悲しみ」は断ち切らなければならないものです。
それが形だけのイベントを重ねるだけで、
何のけじめもつけないまま2年も引きずってしまっています。

前回の追悼イベントに参加したミュージシャンの大半は、
今回参加していません。最初は泉水の顔をたてる意味もあっての出演でしたが、
彼らも馬鹿ではありません。
これ以上加担すれば己に火の粉が掛る事くらいわかっています。
次第に背を向けていくミュージシャンの代わりに引きずり出したのが「倉木麻衣」です。
彼らにはこうするより手だてがなくなってしまったのです。
彼女にしてみれば迷惑な話です。同じ事務所の後輩と言うだけの関係です。
口には出さないでしょうが、彼女自身、自分が利用されていることも
重々承知しています。
ZARDファンからみても異質の存在です。
まったく意味のない「 集会 」です。
そしてまた、泉水とは無縁の方にピアノコンサートを依頼してチケットを売っています。
けじめをつけられない人間のもがき苦しむ様を見るようです。
ここまで来ると、「哀れ」というよりも、
「みっともない」という言葉のほうが的を射ていると思います。

今、ZARD FAMILY は二つに割れています。
彼女の死を正面から受け止め、何をするべきか考え続けている人たち。
決して大きな声を上げようとしませんが、
彼らが自分だけではどうしようもない矛盾に悩み苦しんでいるのも私は理解しています。
あのような金儲けイベントに参加しても、何の意味もないことを彼らは切々と問いかけています。
ファンの比率からいえば100対1くらいの数字でしかありません。
たった一握りの人たちですが、彼女の事を一番に考えている人たちです。

部外者のみなさん、笑ってやってくださいこのザマを。

本来「主」である彼女の事を、まっさきに考えなくてはならない人間が、
自分の悲しみを癒す事に主眼を置いたばかりに、彼らの愚行を手助けする展開になっているのです。
本質を見抜けない「 烏合の衆 」を騙すことは、赤子の手を捻るより簡単な事です。
そういう人たちに正論を説いても無駄なのです。
己の保身を優先させることだけを考え、
最初から真実を伝えなかったことがここまで状況を悪化させています。

メディアで最も手を出してほしくなかったテレビ朝日が、わざわざまた追悼番組を企画しています。
彼女のPV製作時期からのつながりで断り切れなかったのか、
視聴率を狙ったのかは分かりませんが、こんな無意味なことに加担してほしくはありません。

彼らのグループは、その総帥といわれる人間がこの世を去れば崩壊します。
最も、それまでこのグループが無事であるとは思いませんし、
願ってもいません。
私が「WEZARD」に踏みとどまっているのは、
泉水の代わりに彼らの末路を見届けるためです。
芸能界史上に消すことのできない汚点を残し、
平然と彼女の死を利用し続ける彼らを私は生涯許すことはできません。
一握りしかいない中の一人である私ですが、
彼女の七回忌まで何もせずに黙っているつもりはありません。

私も若くはありません、自分の人生に悔いを残さないためにも動く算段をしています。
それは記事として書くことができないことになるかもしれませんが、
自分が納得できる道を選ぶつもりです。


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