ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

ZARD・坂井泉水三周忌・・・忘却の彼方へ

彼女が亡くなってから今日で丸3年、三周忌を迎えることとなり、
昨年の「三回忌」以来1年ぶりの記事を掲載する事にしました。
 
去年と比べて「金儲け」の為のイベントは、大きくその規模を縮小したかに思えますが、実際問題としてファンから金を巻き上げる行為は継続されているというのが実態です。
 
大阪の堂島リバーフォーラムを皮切りに、東京でも二か所で「フィルムコンサート」なる「興業」でひと儲けを企んでいるようです。
 
三回忌を過ぎても尚「有料」のイベントを行わなければならないのか、
それは彼らが最初から、そのために人の道を踏み外してまで
金を儲けようとした信念を貫いているに過ぎません。
すべて嘘で固めてしまったために引き起こしている
病院での「献花・焼香」騒動、
最初から真実を公にして通夜・告別式を執り行っていれば
絶対に起こり得ない事象でした。
結果的にその行為が「ファン」から手を合わせる場を
奪い取った事になったのです。
彼らは一個人として、自分の人生をどう考えているのでしょうか。
また、彼らの企てに何の疑念も抱かず
それに追従している「烏合の衆」も同じことが言えます。
自己満足だけのイベント参加、何一つ彼女の為になってはいません。
この程度の集団であるなら、
いずれ自然淘汰という形で消滅していくでしょう。 
 
今回のフィルムコンサートの入場料が2,500円と聞き、
一見安そうに感じますが、
本来無償でやっても決してバチが当たらないイベントです。
 
堂島リバーフォーラムの会場使用料が1日当たり 1,050,000円です。
この会場は付帯設備使用料込みの金額なのでこれ以上かかりません。
会場のキャパは 1,200名 、これが2回の上映になります。
 
同様に東京のC.C.Lemonホール、70年代は紅白歌のベストテンなどで
私も幾度となくお邪魔した渋谷公会堂
ここの使用料が 800,000円、付帯設備使用料が約200,000円、
キャパが 2,084名 、ここも2回の上映。
 
追加になった町田の市民会館ホール、
ここは使用料がバカ安の代わりに営利目的の場合は
入場料金により使用料金が割り増しされます。
通常 84,000円が 126,000円になり、付帯設備使用料が約50,000円です。
キャパが862名で同じく2回上映となります。
 
ここで入場料関係の利益を計算すると
延べ入場者数  8292 名 (満席計算)
入場料金     8,292 × 2,500円 = 20,730,000 円
会場使用料総計               2,226,000 円
差し引き                   18,504,000 円
 
ここまでは普通の収支計算ですが、
これに会場整備や諸々の準備に関るアルバイトスタッフの経費を
1会場当たり30名で10,000/人×3 で 900,000
また、補充しなければならないであろう
上映機器のレンタル料金を200,000円程度見込んで 600,000円を
必要経費として差し引いても彼らの手元には17,040,000円が残ります。
残りの主要スタッフは社員ですから給料で賄う計算で使えばいい事です。
 
ただここで「金儲け」が終わるであろうはずがありません。
坂井泉水とは全く繋がりのない
「グッズ」と呼ばれる「商品」の販売が必ず行われるからです。
 
客単価を3,000円として、入場者の半数が購入したと考えれば、それだけで
12,000,000円を超える売り上げがプラスされます。
原価3割とすれば 8,400,000円が純利益になります。
この金額は相当抑えて計算した金額です。
必要経費が多少上乗せされても利益から考えて微々たるものです。
上映されるフィルムの製作費は当然入れてはおりません。
内部で作成されるものですから実費だけになり、
会社が負担して当たり前の計算です。
 
自腹でイベントを行っても3,000,000円に満たない金額、
泉水が今まで彼らに対して与えた利益に比べたら痛くも痒くもない額です。
 
たった3日間の利益が25,000,000円になるのですから、
彼らが彼女の死を利用しようと考えたのも無理はありません。
 
でもそんなばかげた行為がいつまでも継続できるわけがないことは
誰もが知るところです。
 
ZARD坂井泉水の話題もすでに「過去」の事となり、
マスコミも取り上げる価値のない事案であると判断しています。
イベントに関しても、
昨年と今年とではその内容に雲泥の差がついています。
 
「時の風化」とともに彼女の事は忘却の彼方へとなりますが、
彼らが引き起こした行為は芸能界史の汚点としていつまでも残ります。
 
私も彼女に関しての記事は今回を以て最後にします。
 
もし「この次」があるとすれば、
 
それは彼女のお墓参りを済ませた後になります。