昭和34年8月2日に第五回定期総会が
日光市・小西別館で開催され、来賓として
最高裁刑事局 新関 一課長ほか3名。
会員60名、事務局23名が出席しました。
9月21日には、日本弁護士連合会長に対して
「制度改善促進運動について」協力要請を行い
最高裁に対しては、「制度改善に関する要望書」
を提出しました。
昭和35年3月1日に、検察審査会クラブ全国連合会会報
第一号が創刊されています。
6月4日の第6回定期総会では、この会の名称を
全国検察審査協会連合会と改めました。
会長は武田俊雄氏から東京協会会長の島田典六郎へ
引き継がれ、氷見山初代会長と、武田俊雄前会長に
顧問を委嘱しました。
9月28日には、最高裁判所刑事局に対して
「制度改善促進の署名簿」を提出しました。
署名数は、53,673名でした。
昭和36年の定期総会は名古屋市松岡旅館で
開催され、最高裁からは、刑事局 佐藤 一 課長
名古屋高等裁判所萩野長官ほか8名、会員91名
事務局35名が出席となっています。
この年から「官」を巻き込んで、検察審査会法普及に
対する活動が活発化していきます。
ちなみに私が生まれたのが昭和35年です。
その私が、約70年前の歴史を掘り起こしています。
残念なことに、この歴史や「会」の成り立ちを伝承
している協会はほぼありません。
先人たちの苦労が少しでも理解して居たら、
「私物化」に走るような輩は出なかったでしょう。