ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

泉水のプライバシーその3

私の記事にコメントをいただいた方からの質問にお答えすることになりますが、これは昨年も私自身のコメントとして記載した内容と同一になってしまうのでお読みになった方はご容赦ください。


私たちの世代はアイドルを呼び捨てにすることによって親近感を分かち合った世代です。それが一番親しみを込めた愛情表現です。
このことはその時代に生きた人でないと理解できません。
美奈子や明菜もそういった意味を込めて言うのと同時に、彼女たちは私から見ればかわいい妹たちです。
もうひとつの質問に関して言えば、単なる一ファンの域を超えていると言えばそう思うかもしれません。
ただ、彼女を10年以上支えてきた人たちの中で、その人生を支えられてきたという実感があれば、単なるファンではありません。そういう人達の人生の中にはすでに彼女が入り込んでしまっているからです。
その彼女を失うということは人生の支えを失くすということに等しいのです。
もはやファンというレベルではありません。
彼女の訃報を聞いた時、悲しみより先に「なぜ」という疑問が湧くのが普通ではないでしょうか。事務所の発表は最初から保身のためのウソであることは私だけでなく報道機関も肌で感じ取ったことです。
私には愛する人を目の前から奪い去られたという気持ちしかありません。その原因を追及していくうちに疑念が確信に変わったのです。
私がここまでやるのは、自分の人生に悔いを残したくないからです。彼女のことに背を向けると言うことは、彼女を愛した人生を否定することです。
今、「ZARD坂井泉水」の書庫は鍵をかけています。ここには私が報道各社にあてた手紙の中でその心情を吐露しています。
私の行動の果てにあるものは結果的には彼女の菩提を弔うことになるでしょう。ただ、彼女の代わりにしてあげられることが現実的な事としてはっきりした以上それを実現するだけです。それが彼女に対する償いであり私のけじめのつけ方です。
このことを理解しろとは言いません、逆にここまでやらなければ彼女がどんな孤独の中で死んでいったかを理解することはできません。
彼女の死を受け止めてあげるには、彼女の生き方を理解してあげるには・・・そう考えた上での行動です。