ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

時代を駆け抜けたアイドルたち 2  「 恋  はじめまして 」

1984年・昭和59年
第26回 日本レコード大賞   最優秀新人賞
第15回 日本歌謡大賞    放送音楽新人賞  受賞

作詞、作曲、編曲   竹内 まりや
楽曲 ドリーミングガール  「恋 はじめまして」
歌唱   岡田 有希子

覚えていますか、ユッコのことを。
彼女が天国に旅立ってもう21年が過ぎました。
先日、彼女の所属事務所の社長(当時)であった相澤さんの引退が伝えられました。
ユッコのことを思い出さずには居られませんでした。
1986年・昭和61年4月8日、ユッコはサンミュージックのあるビルの屋上から身を投げてしまいました。
彼女はこの行動に出る前、自宅でガス自殺を図りましたが事務所の人に発見され未遂に終わったのです。このすぐあと事務所に連れてこられて、スタッフが眼を離したほんの一瞬に部屋から屋上へ行ってしまったのです。
マネージャーは室内からユッコが落ちていくのを目撃していました。信じたくない現実が目の前を通り過ぎて行ったのです。原因は失恋でした。あまりにもまじめすぎました。
このときの事務所の方々のお気持ちが解りますか。どんなに悔しかったか、彼女を目の前にしながら命を救う事ができなかったことが。せっかく未遂に終わらせた自殺だったのに、悔やんでも悔やみきれない出来事になりました。
もっと悲惨だったのは彼女が横たわる姿を一面に掲載したスポーツ紙があったのです。
これが原因でこのあと若い子たちが彼女の後を追う事態にまで発展しました。
「有希子シンドローム」と呼ばれ、国会でも問題になるほどでした。
相澤さんはユッコの死を前にして、ファンや関係者のために密葬ではなく通夜、告別式を執り行ってくれました。「金はいくらかかっても構わない」、こう言い切ったのです。
この方の人としての度量がお解かりになりますか、緊急の場合に於いて今何をしなくてはいけないのか、トップとしてどうあるべきなのかを実践されたのです。
私も30年以上芸能界を観てきましたが、ここまで度量の大きい人物はいません。
泉水のことで報道各社へ手紙を送った時、なぜ相澤さんのことを出したのかご理解いただけますか。人の死を踏み台にして、嘘を言い、自分たちの保身のためだけに走る大馬鹿者を許せなかったのです。
告別式には明菜やナンノ、荻野目ちゃんも参列しました。彼女たちもこの悲しみを受け止め、乗り越えてきました。

ユッコの13回忌のとき、相澤さんの計らいで彼女のメモリアルBOXCDが作られました。
もちろん私も購入しました。それには彼女の未発表になってしまった新曲「花のイマージュ」も入っています。完売でした。そこには利益の追求などありません。相澤さんのファンを思うお気持ちだけです。ユッコは今もファンの方たちに大切に守られています。彼女の祥月命日にお墓の掃除を欠かさずしてくれる優しい人たちがいらっしゃいます。彼女が亡くなってからずっとです。
私もユッコのことは永遠に忘れません。

昨日、美奈子のファンクラブ「ブルースプリングクラブ」から入会案内が届きました。
入会手続きにはいります。今私を支えてくれているのは泉水への想いと美奈子だけですから。