ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

時代を駆け抜けたアイドル達 6 「 岡田有希子 二十三回忌 」

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

4月8日、ユッコの二十二回目の命日・二十三回忌をむかえます。
予定を2日早めて本日彼女のお墓へお参りしてきました。
二十二年目にしてはじめてユッコのもとへ行ってきました。
私の人生の中でやっと一つの区切りをつけることができました。
事前にお墓のことを調べておいたので迷うことなくたどり着きました。
田んぼに囲まれた静かな場所です。
あれから二十年以上が経ってしまったとは考えられません。
私がユッコの悲報を耳にしたのは現場監督としてその一歩をようやく記した頃でした。
ラジオから流れるその言葉に「なぜ」ということしか思い浮かびませんでした。
当時は写真週刊誌が全盛の頃でインスタントカメラが発売されて間もない頃だったと記憶しています。
その影響で誰でも写真が撮れる態勢を執れたのがあの後に続く悲劇を呼んだのです。
彼女が叩きつけられた舗道に額を擦りつけて泣き崩れる彼らを、あの光景を私は生涯忘れることはできません。
彼女の後を追ってしまった十数名の若者たちもまた二十三回忌をむかえます。
ユッコの抱いた悲しみの波長と彼らに芽生えた悲しみの波長が共鳴したのと、彼らの年代の持つ純粋さがユッコを一人ぼっちにさせたくない思いに変えてしまったのだと私は考えています。
他の人たちより少しだけ人を思いやる優しさが強かった、そう考えてあげれば彼らの死は決して単なる後追いだとは思えなくなります。
彼女の失恋という原因を考えたとき、その相手として名前が挙がったのは現在も現役でご活躍中の峰岸徹さんでした。
彼はユッコのことを妹分のように可愛がっていたと仰っていました。
ユッコは暖かく見守る愛情と恋愛における愛情を取り違えてしまったのではないかということが、私の中に今現在一つの疑問として残っています。
私は峰岸さんの言葉を信じます。もし彼の言葉に嘘、偽りがあったならば相澤さんが黙ってはいなかったでしょう。
ユッコはあまりにも幼すぎたのかもしれません。でもそれがユッコなのです。
今日、彼女のお墓を訪れるのには思ったより時間がかかりませんでした。
ただお寺の前には車では入れませんし、周りが田んぼのあぜ道なのでこれから行く方は落ちないようにしてください。
東京にいる時のように美奈子のお墓に行く時にかかる時間と大差がありません。
9月に東京に戻るまでの間、何度かお参りに行けそうです。
美奈子が寂しがるかもしれませんけど。
今回は写真が結構あります。
じっくりご覧ください。ユッコの詩を刻んだ石碑の裏には相澤さんの銘で、ユッコの芸能界における功績が記載されていました。