ギャンブラーの時事放談

事件事故の真相を鋭く斬りこむ現場監督のブログです

恥知らずな人たち・・・・ZARD FAMILY の一人として

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私が企画応募の原稿を書く、はるか以前の昨年末から

WEZARDのサイトには、堂々と三回忌イベントの告知が何の躊躇いもなく平然と出ていました。

どこの世界に、半年先の三回忌にライブをやるなどと言う事を

告知する馬鹿がいるのでしょうか。

明らかに、自分たちは金儲けの計画をしていますと公言しているようなものです。

このイベントに何の意味があるのですか。

昨年、追悼ライブと銘打ったイベントが終了した後、

サイトにはこのような言葉がありました。

坂井泉水の遺志をついで、このたび売り上げの一部を「日本対がん協会

「がんの子供を守る会」に寄付しましたことを報告致します。
  
2008年5月 株式会社ビーイング


あの追い詰められた状況で死んでいった彼女に、どんな遺志があったのでしょうか。

これが言葉の遊びです、死を美化するという事です。

この言葉は、自分たちの行いに正当性と言う裏付けを持たせようとした表れです。


一周忌の時に、特別寄稿として書いた記事の中で

「彼らはなにもしなかった」と言う事を書き記しました。

その言葉の意味がお分かりになりますか。

自分たちの仕事である、マネージメント業務の本当の意味を理解せず、

何をやるべきかをも分からない人たちが、彼女を死なせてしまう結果さえも予期できなかった。

普通なら予期して当たり前のことです。

彼らの仕事に対する怠慢が、彼女を死なせたのです。

自分たちの責任を認めないばかりか、

彼女の死を利用しようとした魂胆が記者発表の時からわかっていました。

それがわかっていたからこそ、

私は裏を取るために死に物狂いで調べていたのです。

彼らには無視されるのを承知で謝罪を要求しました。

当然彼らは要求を無視して金儲けの企画に走りました。

そこまでの腹積もりが無ければあのような行動には出ません。

東京にあるテレビ局やスポーツ紙はこの事を知っています。

各社には私から手紙を送達しています。

以後、彼女の事は大きな記事としては扱わなくなりました。

もう世間には露見している事なのに、また同じことを繰り返そうとしています。


先日、フォーリーブスのター坊が亡くなりました。

出棺の時、大きな声で泣き叫ぶ女性ファンが映し出され、

私にも万感胸に迫るものがありました。

私も彼らの活躍をリアルタイムで見てきた世代です。

彼らがどれほどの人気があったのかを肌で感じた人間です。

彼女たちの気持ちは痛いほど分かります。

あれが本当の「別れ」です。送り出すという姿です。


泉水が亡くなったとき、

いったい何人のファンが彼女を見送ったのですか。

30人にも満たない人たち、それも彼女の名前を叫ぶことなく、

影からひっそりとしか送れなかった。



これが別れですか、送り出すという姿でしょうか。

どんな死に方にせよ、

それを甘んじて受け入れるのが真のファンの姿なのではないでしょうか。


その場を勝手に奪い去ったのは、彼らの愚かな考えです。


なぜご両親を説得して、

通夜、告別式を執り行おうとはしなかったのか、

それは彼らが自分たちの責任を追及される事を恐れたからです。


あの音楽葬は、ただのイベントです。

魂の存在しない、その場凌ぎのセレモニーです。

それを取り繕うとするために用意されたのが「倉木麻衣」のコメントです。

ファンには無縁の人です。ただ話題を逸らすための演出でした。


愛ちゃんのお別れの会の方が、

さりげなさのなかにその重みを本当に感じる事が出来ました。


石原裕次郎美空ひばり岡田有希子本田美奈子

この方たちが亡くなったとき、関係者の方々はどのような行動をおとりになりましたか。

死と言う事象において、きちんとしたプロセスを経てファンに接したはずです。

事実を歪曲させるようなことは絶対にしなかった。

私はよくユッコの事を引き合いに出しますが、

真実は本当の姿で受け入れなければならないのです。

その結果、

一部のファンが病院で献花や線香を手向けてしまうという衝動に走らせたのです。


行き場を失ったファンは、また彼らの策略に乗るしかない行動に出るでしょう。

最早そこまでいくと世間の人には、

何を求めているのかも分からない行動にとられても仕方の無い事になります。

言うなれば世間の笑い者です。

学ぶことを知らない人たち、施しを待つだけの人たち、

何が彼女の為なのかさえ、解らないまま彷徨い利用されるだけのファン。


追悼と言う事を本気で考えるならば、写真展も追悼ライブもすべて彼らが自腹でやるべきです。


早々と三回忌のライブ申込用紙が私の手元にも届きました。本人不在の入場料が6000円もします。

東京と大阪にしっかりと拠点を築いています。

まるで全国展開する足場のように。


いつの間にか、彼らグループ名称の前に株式会社という言葉がつくようになりました。

彼らの思惑が着々と進んでいます。


恥じるという事を知らない人たち、恥の上塗りです。


泉水は見殺しにされたのも同じです。



彼らはこの事実を絶対に認める事はしないでしょう。

それをすれば彼らは破滅です。

それを承知で人の道を踏み外したのですから。


今、私が彼らに抱く感情は、静かな怒りだけです。

今後このようなイベントを幾度重ねても、事態は永遠に変わることはありません。

何時しか彼女の事を忘れ去る時が訪れるでしょう。

私は彼らの非道を後世まで語り継ぎます。

もうそのレールを敷く作業は終わりました。

後は20代の彼らにそれを伝えるだけです。

それ以外、私に出来るのはただ、

彼女の墓前で手を合わせることだけですから。